ビタミンCの常識は正しいのか


体内で、ビタミンCを多く消費する組織としては、「脳」「白血球」「副腎」が有名ですね。

その中でも副腎は多量のビタミンCを消費しており、ビタミンC不足が副腎疲労を引き起こしている最も主要な要因であると考えられていました。(最近はそんなに短絡的に考えている医師はもういないと思いますが、一応ここではその前提で話を進めていきます。)

 

つまり、ビタミンCの摂取量を増やして、ビタミンCの消費量を減らすことが副腎疲労症候群の治療の第一歩だということです。そしてビタミンCは体内に貯蔵しておくこと出来ない水溶性ビタミンである為、定期的に摂取することが望ましいと言われています。

 

次に医師が言う台詞が、「最近の野菜は大昔と違ってミネラルやビタミンの含有量が年々、減ってきている為、食事からは必要な栄養成分が取れません。ですから高品質なサプリメントで補うことが必要です。」という言葉です。

 

本当にそうでしょうか。

 

事実、私は副腎疲労症候群になる前から、アルコールやコーヒーは大量に飲んでいましたし、仕事もかなりのハードワークを何年も続けていました。私の周りには、私と同様のライフスタイルを続けながら、今でも元気に働いている方が沢山います。

 

当初、私はいつか彼らも副腎疲労症候群になるのだろうな、と思っていましたが、人体の構造や仕組を理解した今となっては、彼らが副腎疲労症候群にならない理由が良く分かりました。

 

さてビタミンCの摂取に話が戻りますが、そもそも私の周りでこれまで意識的に食事やサプリメントでビタミンCを摂取している方を見たことがありませんでした。

 

この事を医師や栄養療法士に言うと、「どんな食事にも少量のビタミンCが含まれているかた、意識しなくても摂取出来ていたのですよ」と言います。

(だったら何故、彼らはビタミンCのサプリメントを進めるのだろうと思いましたが…)

 

人によって様々ですが、サラリーマンやOLの場合、朝食抜き、もしくは朝食はカロリーメイト等の軽食と昼夜の2食という方が一般的には過半数程ではないかと思います。

 

さらに仕事中にビタミンCの消費量が多いとされる甘い物やコーヒーを摂取したり、仕事終わりに、やはりビタミンCの消費量が多いとされるアルコールを大量に摂取する方は沢山いらっしゃいます。以前、私の周りに、朝食抜きで昼は丼物かラーメン、夜はカレーもしくはコンビニ弁当という生活を一年近く続けていた方がいました。

 

さすがに一年続けたら飽きたので、夜も定食を食べるようになったと言っていましたが、(よく一年飽きなかったなと私は思いましたが!)

それでも、彼はよく風邪を引いてましたが、それ以外は問題なく過ごしていました。

どう考えても、このような生活ではビタミンCは完全に欠乏していると思います。

 

もし、ビタミンCが体内に貯蔵できないのであれば、こんな生活を一ヶ月も続けていれば体内のビタミンCは完全に欠乏して、副腎疲労症候群どころか壊血病になってしまうのではないでしょうか。

 

しかし、不思議なことに世の中の大多数の人は、エネルギー溢れるとは言いませんが、それなりに健康を保ち、生活しています。

 

昔、糖質は脳の栄養源になる為、糖質を取らないと頭が働かないし体も動かないという事が常識のように言われていました。しかし、「ジョコビッチの生まれ変わる食事」が出版された頃でしょうか。糖質を制限する事により、ケトン体を有効利用することが出来るということがわかってからは、医学会も臨床データを収集するようになり、さらにがん治療にも効果的ではないかと言われ始めると、今までずっと悪者扱いだったケトン体が一躍、ニューヒーローになりました。

 

これまで、一日一食、野菜のみの食事で健康に生活している人がいたことを考えれば、何かしら体内で糖質以外をエネルギーにして臓器を動かしていたことは確かなのですが…

 

さて、またまた話が戻り、ビタミンCです。

ここまでくると私が何を言いたいかわかったと思います。

体内でビタミンCが欠乏した際に、ビタミンC以外のもので人体に害を与えず、ビタミンCの様に働く成分があるのではないか、もしくは体内でビタミンCを産生出来るか貯蔵出来るのではないか、という事です。

 

事実、副腎疲労症候群になった時、ビタミンCが多い食生活に変えたら、急激に体がエネルギーを取り戻したように感じた時があったのでビタミンCは重要だと思います。

(ちなみにサプリメントで取ったら、あまり効果は感じませんでした。)

その様な経験から私は、線維筋痛症、慢性疲労症候群、副腎疲労症候群といった病気が治った今でも、ビタミンCは食事から積極的に取るようにしています。

 

しかし、人間の体は思っている以上に複雑なので、やはり一元的な考え方は好ましくないのではないかと思いました。